涙/HY

駅の裏路地。

そこを行く当てもなく、ふらふらと歩いている一人の女性がいた。

 

「…私、なんでこんなことしてるんだっけ。」

ふと女性はポツリとつぶやく。

「あぁ…そうだ。私、ついかっとなって飛び出してちゃったんだっけ…。」

そうつぶやき、彼女は数十分前の出来事を思い返していた。

 

 

―――ガチャッ

玄関のドアが開く音がした。彼が帰宅したのだ。

「お帰り!お疲れ様!」

いつものように玄関まで彼を出迎える。

「ただいま…」

しかし、彼の様子はいつもと違っていた。

いつもなら、ハグをして「ただいまー!あー、帰ってきたー!疲れたー!」なんて明るく言うのに、今日の彼はそうではない。

とぼとぼと廊下を歩き、リビングに入ると、ふらふらとソファに腰掛けた。

「えっ…どうしたの?大丈夫?」

「あー……うん、大丈夫。」

心配になって声をかけるも、あいまいな返事をするだけ。

その様子を見るに、とても大丈夫ではなかった。

ソファに座ったまま動かず、何度もため息をついている。

「体調悪いの…?」「疲れた?」

心配になって声を何度かけても、大丈夫とか、何でもないだとかそんな返事ばかり。

しかし、どう見ても大丈夫じゃない。

そっとしといたほうがいいのだろうかと思っても、何度もため息をついてふらふらを歩いている様子を見るとやはり気になってしまう。

「体調悪いなら、今日は早めに寝る…?」

「あー、いや、大丈夫。」

お風呂を済ませても、ご飯を済ませても、彼の様子は変わらない。

そして私は、心配を通り越してイライラしだしてしまった。

「ねえ、本当にどうしたの?見るからに大丈夫じゃなさそうなんだけど。」

「何もないよ。」

「何もなかったらそんなにため息つかないじゃん。」

「…」

何も言わない彼にさらにイライラが募る。

「見るからに大丈夫じゃないから心配してんのに、なんなの?私にどうしろって言うの?」

「…」

「はあ、もういいわ。好きなだけため息ついてれば?」

ついに耐え切れなくなった私は、そういい捨てるとかばんを手に取り外へと飛び出した。

 

無論行くあてなどなかった。

苛立つままに歩き続け、そしてついさっきようやく怒りが収まり、ふとわれに返ったのだ。

 

「はあー…何やってんだろ…。」

気がつくと、そこは駅の裏路地だった。

ガヤガヤと人の声が聞こえる。

われに返ったところで、どうすればいいかなどわからない。

勝手に飛び出しておいて、怒りが収まったからといそいそ戻るのも気が引ける。

「私バカだなぁ…どうしよ…」

私には、ただあてどもなく歩くことしかできなかった。

 

ふらふらと歩いていると、ガヤガヤとした人の声の中にかすかにメロディが聞こえる。

「そういえば、駅の路地裏で路上ライブしてる人とかいたりするって誰かが言ってたなぁ…」

職場でちらりと耳に入った話だ。

話していたその本人は路上ライブしている人のファンらしく、とても興奮した様子で話していた。

 

ガヤガヤとした人の声の中、ひとつだけよく通る女性の声が聞こえた。

Uh~♪

ハミングだ。

ギターで弾き語りをしているらしい。

思わず彼女はその声に耳を傾けた。

 

 暗い世界はそう残酷にも 人をああにも変えてしまうけれど

 重い鎧を外してしまえば本当の姿が見えてくるから

 

決して高い声ではないのに、よく通る声だ。

通るだけじゃなく、どこか惹かれる歌声で思わず足を止めてしまう。

 

 あの日起こったその出来事は 消せない記憶と悲しみを生み

 残るものは何もなく ただ 涙と苦しみの雨だけが

 

歌に聞き入りながら、ふと彼女は思った。

彼にもなにかとてもつらい出来事があったんだろうか…。

だから、帰ってきてあんな様子だったんだろうか…。

 

 今 僕には君にしてあげる事が限られているけれど

 でも こうして歌を歌うくらいなら君に聞こえるように

 

「私に…できること…」

 

 その涙を拭いて笑いながら ずっとこの地球で暮らしたい

 このままじゃ前は見えないから 君のそばには

 大切な人が必要

 

「私に出来ること…そばに、いることなのかな…。」

歌は間奏に入っている。

「私、心配とか言って、気持ちを押し付けてただけだった…きっと、傍にいるだけでよかったんだよね…」

ぽつりぽつりをつぶやきながら、彼女は再び歩き始めた。

もと来た道に向かって。

「今からでも…間に合うかな?」

彼女の足は自然と早足になっていた。

 

 

「はぁ…はぁ…はぁ…」

いつの間にか走っていたらしい。

息が切れていた。

しかし、彼女は玄関の前まで来て、そのドアを開けれずにいた。

「…どうしよう。」

突然飛び出していって、怒ってるだろうか?呆れてるだろうか?心配してるだろうか?もしかしたら私にかまけている暇などない…?

玄関の前に来て、夢中で帰ってきたのが嘘のように頭の中がグルグルしていた。

 

どれぐらい玄関の前にいたのだろう。

ほんの数分?何十分も経っているのだろうか?

時間の感覚もわからない。

でも、いつまでもここに立っているわけにはいかない。

私は意を決して、ゆっくりドアを開けた。

 

ドアを開けると、そこには彼がいた。

玄関先に座り込んで、顔をうずめていた。

ゆっくりと彼が顔をあげる。

「おかえり。」

驚く様子もなく、優しく、でもどこかぎこちない笑顔で微笑んで言った。

「…ごめんね。私、」

「俺こそごめん。目の前でため息つきまくってたりしたら、そりゃ心配だよな…。」

「ううん、心配とか言って、結局私は心配してるって気持ちを押し付けてただけだから…。」

彼はまたぎこちなく微笑むと、私の手を引いて言った。

「とりあえず、中でゆっくり話そう。」

 

ソファにゆっくり座り、私たちは話した。

「俺さ、職場のことだからお前のこと巻き込みたくないなって思ってさ…。それで結局要らない心配かけてちゃ意味ないよな…。」

「…ううん。話したくないことだってあるのに、無理に聞こうとしちゃって…。」

「いや、俺が変なプライドで意地になってただけだから…。」

お互いに謝り合ってばかりになってしまい、私たちは互いにぎこちなく笑った。

「…あのさ、私、職場の愚痴でもなんでも、あなたの話なら聞きたいよ。その…もちろん、あなたが話してもいいって思ってくれるならだけど…。」

おずおずとそう言うと、彼は安心したように微笑んだ。

「うん、これからは話すようにする。心配かけてごめんな。」

「ううん、私こそごめんなさい。」

私たちは互いに微笑み合い、仲直りをした。

 

 

end.